http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001412893.shtml
確かにJR西日本は福知山線の線路の付け替えを行いました。
けれども半径300メートルと言うのは決して「急カーブ」ではなく、JRにこそ少ないものの、民鉄の幹線にも結構存在するカーブです。
当時、ATS−PはJR西日本においてはいまだ設置がなされておらず、速度制限型のATS−SWも民鉄にこそあれ、JR西日本には存在していなかったと思うのです。
国鉄の分割民営化のさい、JR東日本はATC化された通勤幹線を多く引き継いだのに対し、JR西日本はまったく旧態依然とした単純なATSしか引き継げませんでした。
これでは最初から引継ぎの条件が異なっていると言われても仕方ないではないですか。
これにはかつての運輸省と国鉄当局、それに国労、動労といった組合との力関係が大きく影響しています。
国鉄がATSを整備したのは三河島事故の教訓からなのですが、実は国鉄はすでに戦前、昭和18年にATSの実験を成功させ、設置に取り組もうとしていました。
当時のATSは速度制御の難しいSLに対しても2段階で速度照査でき、減速できる優れものでした。
ところが、国鉄が昭和40年代に完備したATSは単純な停止型で速度照査の出来ないタイプでした。
なぜ、そうなってしまったか・・
実は国鉄の運転の現場では速度違反が日常行われていたのです。
速度照査が行われると速度違反が出来なくなってしまう・・
実際に僕も山陽本線で113系普通電車で時速120キロ強という場面を目撃しています。
速度制限は95キロと言う区間です。
政治における55年体制が自民党と社会党による見せ掛けだけの「馴れ合い対立」だったのと同じように国鉄の現場でも運輸省、国鉄、組合の馴れ合いが中途半端なシステムを生み出していったわけです。
このシステムがいかにダメなものかは、昭和41年に運輸省が大手民鉄プラス、運行速度もしくは頻度の高い中小民鉄に出した通達が明らかにしています。
その内容は「速度照査式ATSの導入を義務付ける」というものでした。
なぜか、国鉄のATSに速度照査機能をつけることは先送りされています。
民鉄各社は苦労して新型ATSの開発に着手します。
その結果、ATSとしては最高のものが阪急・阪神・山陽各社が共同で導入した「連続誘導式ATS]でした。
さて、国鉄を引き継いだJR各社にとってもっとも頭がいたい問題が株式の早期上場でした。
これを目指すため、各社ともに経営の改善や営業努力に拍車がかかります。
ある程度恵まれた条件で引き継いだJR東日本、在来線はコンパクトに引き継いだJR東海に比べ、長大な幹線を名乗るローカル線を多く引き継ぎ、近代化への当市も後手に回っていたJR西日本は他社に比べ余裕のない経営となっていったのはいたし方のないことではないかと僕は考えます。
さらに株式の上場後、株主への還元を優先しなければならず、ローカル線区の保線作業すら列車を運休して行うようになったJR西日本・・
この状態で安全への投資など後手に回るのは当然でしょう。
つまり、安全への投資が遅れたその背景には戦後から続く運輸省、国鉄、組合の3社の馴れ合い、そして中途半端な運輸省の態度、さらには、条件の悪い路線を引き継がねばならなくした国鉄分割民営化の政治的な部分・・これらが重なっているわけです。
山崎社長を書類送検するなら中曽根元首相や佐藤元首相、あるいは当時の運輸大臣や運輸省幹部、国労、動労の幹部らもその責任ありとして書類送検しなければならないはずです。
もうひとつ、JR事故での死者数は107名です。
「乗客106名が死亡した」と報道されますが、「乗員、乗客107名が死亡した」としなければなりません。
運転手は犯人ではありません。
国家政策の無策ぶりにより誕生した安全軽視会社の犠牲者です。
電車が好きで、夢をかなえた青年を国家は多くの乗客とともに殺したわけです。
僕は運転士の青年を犠牲者数に入れることを主張します
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普通に運転しているのに「闘争」だど叫ばれ、私は頭の回りが鈍いのですぐに理解できず親に説明を求めたのを思い出しました。
同じ労働者なのにスト権が無いのも変なら、スト権が無いのに「スト権スト」だと言って電車やバスを止めるおかしな運動があるのかとも思いました。
茶色一色の目立たない車両がにわかに賑やかに彩られて走り回りました。
気がついたら、大人30円子供10円で乗れた国鉄が高くて乗れなくなりました。
いつの間にか私鉄のほうが安くなり、そのうちにボロだと思っていた目蒲線にまでピカピカの緑のシートが貼られるようになっていてびっくり。
ついこのあいだまで「紙が無い、ガソリンが無い」と言っていたのに、バブル時代に突入。
分割再建途上だと言いながら、意外にも豪華列車が走りまわるようになりました。
そう思っていたらとうとう、単なる輸送機関であるが如くの対応に変化してしてしまいました。
嫌味な言い方と思われるかもしれませんが、件の乗務員氏にも「順法闘争」で輸送に当たって欲しかったですね。
間違いなく脱線はしなかったはずです。
昭和40年代中以降、戦後の急成長の矛盾が噴出し始めた時代だったのかなぁと思います。
「日本中を新幹線と高速道路で結べばいい」と言うお方が登場しましたね。
しかしあの土建屋の“オヤジ”を以ってして40年も経とうというのに未だ完成せず。
もうすぐ総裁選のようですが、いまどきの首相にはそういう手は通用しませんよね。
アニメでも輸出するかって「ファミコン付きブルドーザー」ってなわけにもいかないでしょうに。
今度はどうやって不安いっぱいの国民を納得させ喜ばせるのでしょうか。
まぁそんな言い方は不謹慎なのかもしれませんが、かといってこれ以上「不渡り手形」を増やされても・・・。
ほんまに嘆き節のひとつも出ますね。
いまどきの鉄道職員・・当局に逆らうなどもっても他のようです。
これも時代のなせる業かな。。