2016年06月12日

神明急行覚書(1)

今朝、サンライズを撮影した後、この時期だからこそ撮影できる道路の写真を撮影しました。
県道21号線、神戸明石線、愛称「旧神明道路」です。
今回はこのうちの、昼間にはとても撮影できそうにない須磨寺付近から、高丸インター付近までです。

この道路の元々は「神明急行」という鉄道計画であり、世界恐慌のあおりを受けてその計画が破たんしたのち、戦時道路として県により整備がなされましたが、戦争の激化で中止、戦後も随分経過してからようやく日の目を見たものです。

神明急行という鉄道は大正年間に企画された鉄道であり、当時、明石と姫路を結んでいた神姫電鉄の子会社でした。
のちに、兵庫と明石を結んでいた兵庫電気軌道とともに宇治川電気に合併され、さらに、電力事業の国策に伴って鉄道部門を分離、今の山陽電鉄となったものです。
当時の山陽電鉄の路線のうち、兵庫電気軌道が建設した須磨から東垂水までが併用軌道=路面電車であり、明石市内も国道に併設された低速の電車でした。
神姫電鉄の建設した、明石・姫路間は当時最新式の阪急神戸線、大軌(今の近鉄奈良線)などと同じく、高規格、高速運転を目指した路線で、今も山陽電鉄の路線が明石を境に雰囲気が変わるのはこのためです。

さて、神明急行の建設しようとした区間では今でもいくつかの遺構を見ることができますが、その最たるものこそ、旧神明道路に残された三つのトンネルでしょう。
もっとも、戦前に完成していたのは一つだけのようですが。

まず、高倉トンネル、今の須磨寺駐車場近くの短いトンネルですが、基本的に原型を保っています。
トンネル断面といい、幅員といい、道路トンネルには中途半端な気がします。
こちら、東から見た様子です。
0612高倉トンネル東.JPG

西側にはこのような銘板が・・
原口市長の筆による文字がありますね。
0612高倉トンネル西銘板.JPG

最大のトンネル、鉄拐トンネルです。
摂津と播磨の国境のトンネルになります。
東側。
0612鉄拐トンネル東.JPG

鉄拐トンネル西側。
0612鉄拐トンネル西.JPG

トンネル内部、震災後に急速に道路トンネルとしての体裁を整える工事が行われました。
あの震災の時、僕もここをバイクで何度か通過しましたが・・停電で怖かったです。
0612鉄拐トンネル内部.JPG

鉄拐トンネルの銘板です。
0612鉄拐トンネル西銘板.JPG

下畑トンネル。
今の桃山台南口交差点東すぐのトンネルです。
東から見た様子。
0612下畑トンネル東.JPG

西から見た様子、トンネル南側の山が削り取られ、不思議な雰囲気ですが、これは横を通る第二神明道路拡張工事の結果です。
0612下畑トンネル西.JPG

下畑トンネルの銘板、道路は県道ですが、神戸市の放射道路計画の一環として作られたからでしょうか。
ここにも原口市長の文字が。
0612下畑トンネル銘板.JPG

トンネル以外の場所も・・
下畑橋。
ここが「下畑駅」の予定地だったのでしょうか。
0612下畑橋.JPG

第二神明道路の名谷高架橋。
この辺りから、神明急行未成線は第二神明道路にのみ込まれる格好になります。
しかし、鉄道はこの先の山にぶつかったところからトンネルで通過する予定でした。
0612名谷高架橋.JPG

高丸インターの少し東、潮見が丘から見た第二神明道路。
とても鉄道が登れそうにない急こう配です。
この峠のピークを西にすぎて少し降りたあたり、今、アグロガーデンというショッピングセンターがありますが、そこの1階駐車場あたりに「高商前」駅ができる予定でした。
ですので、鉄道は名谷高架橋を西に渡った先からトンネル、たぶん、1000分の33くらいのこう配で高商前(のちの商大)に達する予定だったのでしょう。
0612高丸切通.JPG

そして、これまた意外な鉄道未成線遺跡・・
山陽バスの本社です。
ここは「多聞」という駅になり、駅には車庫が併設される予定でした。
今、その車庫を山陽バスが使っています。
0612山陽バス車庫.JPG

山陽バス車庫の裏手、西北側、社員駐車場になっているところ、画面右の石垣のあたりを本線が通過していたはずです。
0612山陽バス車庫2.JPG

ここから先の鉄道敷地は地図で見ると、よくわかります。
山陽バス車庫、舞子多聞線のバイク屋、向かいの「もっこすラーメン」、その裏の西岡橋付近の駐車場、そして東谷公園の中腹の細長い広場・・これを結ぶ線が鉄道未成線となるわけです。

当時の新聞記事もかなり参照することができました。
しかし分からないのは、当初、大正9年の免許申請時には、湊川から明石までの間に、兎谷、長田、板宿、妙法寺、中山、多聞、西舞子、大蔵谷の各駅を設ける予定・・
つまり板宿から妙法寺をぐるっと回るルートだったのが、免許失効時には、大手、須磨寺、下畑、高商前、多聞と変更されていたことで、これにはこの時代、特に大軌(近鉄奈良線)の成功による、急こう配を走る高速電車の技術が確立されたことが大きかったのかもしれませんが、妙法寺回りがいつから下畑経由になったのか・・謎です。

さて折角ですからイメージだけでも・・
高倉トンネルに電車を走らせてみました。。
神明高倉トンネル東合成.jpg

おい、架線は?
パンタグラフは?
すみません・・面倒なので割愛しました。。。。
このほかの区間についても、折を見てご紹介できればと思います。

追記。
旧神明道路が昭和30年代後半にようやく開通するわけですが、そのころのことを鉄道趣味界の先輩の方がご教示くださいました。

「混雑が慢性的な国道2号線のバイパスとして、これらのトンネルを利用し「神明放射道路」が開通したのが1964年10月30日。
須磨区離宮道から鉄拐山、千鳥ヶ丘を経て垂水区伊川谷に到る15.8qの有料道路でした。
1966年12月15日からは、市バス70系統神戸駅南口〜神明多聞が営業開始。側面、後部の方向幕にも「放射道路経由」と記されていました。」

posted by こう@電車おやじ at 21:58| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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