2007年12月17日

神明急行線

僕は仕事柄、しょっちゅう第二神明道路や旧神明道路を通ったり、またいだりします。
この「神明」と言う名称に隠されているもの・・
それこそが大正時代の夢・・神明急行線なのです。

今の山陽電鉄は開業時には兵庫電気軌道と言う会社でした。
この会社、当時の関西にあって阪神の成功に刺激されて出来た電気鉄道だったのですが資本が脆弱で、兵庫から須磨まで線路を敷いたもののあまり儲からず、神戸市電へ譲渡する話も出るほどのひどい成績でした。
同じ年に開業した阪急や京阪とは比べられないような状態。

しかし、やがて線路が明石まで延びると営業成績も良くなってきます。

この時、今で言う「乗っ取り劇」的な騒動があり、創業グループは経営陣から追い出されてしまいます。

追い出された経営陣は明石と姫路の間に「神姫電鉄」を建設、この鉄道は当時の阪急神戸線の成功に刺激された純然たる高速鉄道でした。
(この時に神姫バスも創業しています)
神姫電鉄はやがて、神戸・湊川への延長を企て、これを「神明急行電鉄」として免許を取得。
ところが、何れも経営基盤の脆弱な二つの鉄道は当時大手の電力会社だった「宇治川電気」に吸収されてしまいます。
けれど、同じ会社になっても明石では規格の異なる二つの鉄道の間で乗り換えが必要であり、その駅も離れていました。
神明急行線の免許はそのまま引き継がれましたので、会社は工事を進めて行きます。

やがて、宇治川電気の電鉄部門は「山陽電鉄」として独立・・
新路線の工事も進められたようですが、そこへ世界恐慌・・

そして忍び寄る戦争の影・・

当時、西明石地区に軍需工場が建設されていて、これへの道路として兵庫県は工事中だった神明急行線の路盤に目をつけ、これを道路として転用する事を決めます。
山陽電鉄には代わりに今の路線の用地が与えられたのではないかと・・見ています。

戦前、既に3つのトンネルは貫通していて、防空壕にも使われたようです。
で、この鉄道の東半分が名谷以東の「旧神明道路」・・西半分弱が、戦後、高度成長時代に開通した第二神明道路、そして、残りの舞子地区から大蔵谷までが民間に売却され、大蔵谷から明石までは今の山陽電鉄線になったと言う事です。

湊川・兎谷・板宿・大手・須磨寺・下畑・神戸高商前・多聞・西舞子・大蔵谷・明石という予定だったと言われています。

今となっては湊川から板宿までの区間はまったくどこを走るつもりだったのか不明ですが、その他の区間は大体読み取れます。

清水か丘の山陽バス車庫などは神明急行線の車庫の予定地だったようですし、ミニコープと「もっこす」のあたりの不自然に斜めになっている区画も線路の予定地でしょう。
東谷公園の中間あたりの細長い平地も工事の跡でしょうし、大蔵谷駅北東の斜めの筋の道路も鉄道の路盤だったように思えてなりません。

ただ、今の高丸インターあたりに出来る予定だった「神戸高勝前」は、きっと・・当時の技術としてはかなり難度の高い地下駅でなければ無理だったようにも思います。

ふと見える鉄道の影・・
大多数の住民がそんな事とはまったく関係なく、過ごしている・・
そこにまた、歴史の面白さと、人間のする事の限界も感じてしまうのです。
posted by こう@電車おやじ at 05:01| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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