2018年01月24日

母が亡くなりました。

1月23日、午前6時28分、母が亡くなりました。
ここに母生前の皆様のご厚情に深く感謝申し上げます。

1月22日、夕方5時半ごろ、いつもの母の病院へ・・
すでに3番目の妹が来ていて、少し呼吸が荒く、鼾のような状態が断続的に起こるのを見ながらも、普通に食事を食べてもらうことができました。
しかし、食事についているデザートがうまく呑み込めないらしく、止む無くデザートは諦め、またいつもの飲み薬も、誤嚥の危険性が大きいので我々では飲ませずに、看護師にしてもらうことにしました。

ほとんど口はきけない状態になって長いのですが、それでも「足が痛い」というので足を揉んでやると落ち着いた様子。
ベッドを完全に寝かすのはまだ早いと判断したので、看護師に相談してベッドは少し状態を起こす形で寝てもらうことにしました。
「何かほかにあるか?」と聞くと「ない」と首を横に振ります。
「眠りたいの?」と聞くと頷きますので、好きな美空ひばりのCDをセットして、イヤフォンをすると満足そうでした。

そのまま、僕と妹は病室を出て、僕は仕事に戻りました。

明け方、4時半ごろ、一昼夜勤務から帰宅してすぐだったのですが、病院から電話。
当直の看護師からで、「お母さまの呼吸がかなり荒いので、酸素マスクをつけさせてもらいました」
とのこと。
「もし容体に変化あればまたすぐにご連絡差し上げます」と言っていただき、僕は勤務から帰宅したばかりで眠くて仕方なく、そのまま横になって寝てしまっていました。
しばらくして電話が鳴っているのに気づくと、前日に病室で一緒になった妹からで、「病院から緊急で来てくださいと言ってきた」とのこと。
僕が寝てしまって、病院からの着信に気付かず、担当の看護師は即座に妹の電話に連絡を入れたようです。
寝てしまった時間は10分ほどでした。

すぐに用意をして車を出し、すぐ近くに住むその妹を迎えに行き、病院へ。
この間30分ほどでしょうか。
病室に入ると、心電図のモニターがピー!!と警告音を発し始めたところでした。
当直の看護師が僕たちを見つけて悲しそうな顔をします。
「心肺停止という状況ですね」
と伺うと「そうです。ずっと眠ったまま、こうなってしまいました」とのこと。

すぐに医師が死亡を確認。
でも、顔はまだいつもの眠っている顔で‥でも、額に手をやると身体が少しずつ冷えていくのが分かります。
つい、12時間前にいつものように食事をとったところなのに、母は旅立ってしまいました。
思えば、45年前に夫を亡くし、6人の子供を女手一つで育て上げてくれた母。
28年前に脳幹部出血の大病を患い、あと数時間生きれるかどうかと言われながらも、奇跡的によみがえり、社会復帰までした母。
あれからの28年は、母の人生というより、子供たちとの人生を楽しむためにあったのかもしれません。

そして8年ほど前に持病になっていた腎不全が悪化、透析生活となりながら、それでも透析患者さんたちとの交流を楽しみに通い続けた母。
介護が必要なことが多くなったので、僕の自宅近くの空き部屋に引っ越してきてもらった時、ちょうど、桜のシーズンで満開の桜を眺めながら「なんと美しいところ」ととても満足そうだった母。
最後の1年余りは病室でしたが、「海の見えるところで生活したい」という夢を別の意味でかなえてしまった母。
検査のために明石市内の医療センターへ介護タクシーで向かうとき、明石川を渡るときに見えた、新幹線の真っ白なN700を見て感嘆の声を上げ、「なんてきれいな電車、あれに乗りたい」と言っていた母。
幼少期を船乗りの娘として満州で暮らし、数か月に一度帰宅する父(僕からは顔も見たことのない実の祖父)が美男子ですごい自慢だったと言っていた母。
船と海が大好きだった母。

母の死に顔はすごく寛いでいて、死化粧をする前なのに、看護師や葬儀社の人までが「なんと安らかな寝顔」としみじみ見とれてくれました。
化粧を施してからはまさに美しく、めったに化粧をしない人でしたが、なるほどこの人はもしかしたら大変な美人だったのかもしれないと、実子の僕までもが思う始末。


葬儀は家族葬でつつましく、舞子の葬祭場で行いました。
母の6人の子と、それぞれの連れ合い、3人の孫、母の妹、姪、そして僕の義母と義姉、妹の義母、妹の婚約者、女性が大半の、賑やかで華やかで湿っぽくないお葬式になりました。

葬儀や通夜は導師の方に来ていただき、重厚な読経をしていただきましたが、今朝の朝一番、僕と叔母で、静かに長い読経を送りました。

*******

その医師にはたくさんの子供があった。
あるとき、美味しい飲み物と間違えて、子供たちが毒を飲んでしまった。
その医師はすぐさま毒消しの薬を調合して子供たちに飲ませようとした。
ほとんどの子供たちは父を信じてその薬を飲んで事なきを得た。
だが、一部に毒薬が心の中にまでしみ込んでしまった子供たちがあり、その子たちは決して薬を飲もうとしない。
このままでは命にかかわると判断したその医師は、遠くへ旅立つことを子供たちに言う。
そして「ここに薬を作ってあるから、まだ薬を飲んでいないものはこれを飲むように」と言い残し旅立つ。
やがて、遠くへ旅立った父が旅先で亡くなったという知らせが子供たちに届く。
子供たちは皆、嘆き悲しみ、父の姿を求めようとした。
そしてあの、毒に心が侵された子供たちも、父を懐かしむあまり、とうとう、父の作った薬を飲んだ。
やがて、子供たちの心身の毒は消え去り、命の危険は去った。
そこへ父が帰ってきた。
子供たちが驚いたのは言うまでもない。

法華経、寿量品より「良医の譬」

******

沢山の子供を産み育て、子供たちに人生を費やした母のことを想うと、僕にはこの話がおとぎ話などではないように思えてきます。

小さな骨壺に入って我が家に帰ってきた母。
ありがとう。
お疲れさまでした。
posted by こう@電車おやじ at 21:41| 兵庫 ☁| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

寒気。。。。

昨日の乗務で、国道2号線の気温表示が−0℃と出ていました。
深夜、26時過ぎの状態です。
(交通機関では前日の乗務開始に対し、0時を回ると24時以降の続きで時間を呼びます・・放送局などもそうですね)

帰社して、洗車しようにも水道管が壁に沿っている洗車用の水道が使えず、まずはちょっと遠いところで湯を出して、そのお湯を何度かバケツで運んで水道管の凍結を溶かします・・
すると勢いよく水が出てきました。

で・・冷たい水とお湯で何とか洗車して・・
営業車を定位置において・・帰ろうとするとさっき撒いた水やお湯が、数分で凍っていきます。

温暖な当地では珍しい冷え込みでした。
今朝の最低気温は−4℃だったそうです。。

で・・その寒い中・・このところの休養でようやく少し体調が戻り、お天気も良いので母の病院へ行く前にちょっと撮影。
いつもの夕方の長坂トンネルですが、冬至から3週間ほどでかなり撮影しやすくなっています。

上り、N700a「のぞみ38号」
0113長坂上りN700a.JPG

すぐに下りN700A「のぞみ115号」
0113長坂下りN700A.JPG

夕陽が山に隠れる瞬間、少し晴れ間が出ました。
冬枯れのやまの上にオレンジのわずかな太陽光が。。
下り500系「こだま753号」。
0113長坂下り500こだま.JPG

本日のお目当てはこの列車、上り500系「こだま742号」。
ちょうど太陽が沈む前にその輝きを見せてくれています。
風があるので池は凍ってはいませんが、強烈に寒いです。
0113長坂上り500こだま.JPG

この後介護と買い物・・・なかなか自分の完全な時間を持つことができません。
ま・・あってもお金もないですけど・・・

「国鉄・私鉄の思い出」更新しました。
「昭和56年、伊豆・箱根・ロマンスカー」
http://kokutetu.seesaa.net/article/456177426.html

と言っても海も芦ノ湖も富士山も出てきません。
この頃の僕は、こういう旅行ばかりしていました。
当時の伊豆急行の新車、1000系です。
S56伊豆急1501カラー編成全景.JPG

伊豆高原駅・・まったく伊豆らしくないところでしたが・・
国鉄113系の横須賀色。
S56伊豆急行国鉄113系8連伊豆高原.JPG

小田急ロマンスカーNSE、僕が撮影した中で唯一の編成全景が写っている写真です。
S56小田急NSE編成湯本.JPG

さて、まだまだ寒い日が続きます。
一旦暖かくなってもまたすぐに寒さが戻りますから、皆さま、お風邪など召しませぬように。
ご自愛くださいませ。



posted by こう@電車おやじ at 20:20| 兵庫 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

カラオケの前に電車。。

ほぼ1年前、足掛け2年前にカラオケをしたお仲間とまたやりましょう・・ということで‥
大阪へ向かいました。

時間が少し余っているので小雨の野田駅へ・・
いきなり、EF66103と323系が。。。
0105野田EF66103・323.JPG

いよいよ引退へのカウントダウンが始まった201系の姿。
0105野田201.JPG

すっかり大阪環状線の顔になった323系。
0105野田323.JPG

美しい、転落防止柵未装備の221系。
0105野田221.JPG

323系と201系が並びました。
0105野田201・323.JPG

323系と「はるか」の並走。
0105野田はるか・323.JPG

さて時間となりました。。
京橋の「ジャンカラ」へ。。。
フリータイムで都合5時間、散々呑んで歌いました。。

美女度があがった・・Rさん。。
0105Rさん.JPG

いい雰囲気のNさん。
0105Nさん2.JPG

おふたり。
やっぱりカラオケは3〜4人が楽しいですね。
0105Rさん・Nさん.JPG

で・・それぞれ自分の町へ、明日からの仕事へ帰っていくのでした。。
帰りの直特、さすがにひどく混んでおりました。
posted by こう@電車おやじ at 07:03| 兵庫 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

初撮り鉄のつもりだったが・・・

鉄道趣味会の大先輩、FSさんが昨年末にお怪我で入院されました。
そこでこの道の先輩、KYさんとお見舞いついでに撮り鉄ということでお出かけ。。

垂水駅で待ち合わせ・・電車に乗る前に。。。
5030系5632F。
幸先良いスタート…
0103垂水山陽5632.JPG

お見舞い先が荒井駅近くなので高砂駅で直特を降り、普通車を待つ間に。。
乗ってきた5008Fを後追いで。。。
0103高砂山陽5008.JPG

普通電車に乗り、荒井駅到着寸前、対向してきた直特は6000系でした。
0103荒井山陽6002直特.JPG

さて、訪問先の病室がなんと新幹線の見える部屋。。
話も弾み、30分程度のつもりが2時間に・・
こりゃ、お見舞いではなく治療の妨げになったかなぁ・・

さて荒井駅。。
5030系5632F。
0103荒井山陽5632.JPG

やはり5000系列は変な看板や(失礼!)ラッピングのないデザインが最も美しいですね。
ワタシにとって過去の南海11001や名鉄7000にも匹敵するデザインかもしれないです。

大塩駅で上り普通車3074、こちらの電車と同じ3050系アルミカーでした。
0103大塩3074.JPG

姫路でKYさんと予定を変更して安くてうまい立ち飲みへ・・・
こうなったらもうだめです。。。
鉄談義に花が咲き、酔いは回り、本日の撮り鉄はナシということで。。

帰路、姫路駅に5000系直特が並びました。
5611と5609です。
0103姫路山陽5611・5609.JPG

下車した舞子公園で…
向かいのホームには疑似アルミカー3619が。。
0103舞子公園山陽3619.JPG

夕景の舞子公園駅に5002Fが入線。
0103舞子公園山陽5002.JPG

本日の明石海峡大橋。
0103明石海峡大橋.JPG

播磨灘、夕日の沈んだグラデーションに小豆島が浮かびます。
0103明石海峡から庄戸島.JPG

日記にしてみると、案外良い休日だったように…感じました。。

posted by こう@電車おやじ at 19:59| 兵庫 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

元日瞬鉄

1月1日は、朝まで仕事になってしまい、帰宅して適当なものを食ったら寝てしまいました。
起きたら午後・・
まずは奥方の実家へご挨拶に‥
クルマは先方にあるのでバス電車バスと乗り継いで実家まで・・

カメラを持って行ったものの、碌な写真が撮れず、ふっと思い出し・・実家の上層階へ・・
新幹線が見えるんですが、かなり電線や建物が入ってしまいます。
でも、今日はこれしか仕方ないのでとりあえずN700Aを。。
DSC_8759.JPG

夕景、神戸も西郊のこの辺りまで来ると、空が広いですね。
初日の入り。。。(;^_^A
DSC_8770.JPG

下り500系「こだま」
DSC_8767.JPG

上り500系こだま。。。
DSC_8775.JPG

空には元日には珍しいスーパームーンが。。
DSC_8790.JPG

そうそう、お正月の初夢ということで…
山陽電車に旧塗装復活????
せんかなぁ〜〜〜
山陽3050復元妄想.jpg

皆様、本年もよろしくお願いいたします。
posted by こう@電車おやじ at 21:50| 兵庫 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする