2017年04月15日

神明急行覚書2・・桜の東谷公園

母の病院からの呼び出しやら、家族からの頼みやら・・
バタバタしております。。

病院から次の予定へ向かう途次、ちょっとだけ舞子の東谷公園を覗いてみました。
住所は南多聞台4丁目になります。
桜が綺麗で、のんびり寛いで花見をされている方々があります。

この公園は大体二つのエリアに分かれますが、その麓のほうのエリア・・
マンション敷地から螺旋階段か、ゆったりした坂道を上がったその先の細長い広場の桜です。
0414東谷公園北から.JPG

ちょうど電車の編成にすれば4両編成程度が二本、収まるでしょうか。
こここそ、神明急行「西舞子」駅の予定地であると推測しています。
これは南側から見た様子。
0414東谷公園南から.JPG

今の住所は南多聞台ですが、かつてこの辺りの団地は「西舞子団地」と呼ばれ、今も「西舞子幼稚園」「西舞子団地診療所」「西舞子小学校」があります。
ところが、今現在の我々地元住民の感覚では「西舞子」は、ここよりやや南の8・9丁目から、舞子小学校付近の3・4丁目、山田川の西側の5・6・7丁目、西舞子駅付近の2丁目、海岸沿い、旧街道の1丁目という印象ですね。
まだ今の住居区分が実施される前は広く「西舞子」という地域だったようで、その地域のやや山の手に駅が計画されていてもおかしくはないし、その名残りが昭和40年代初頭、この地域を開発するにあたって「西舞子」という名称をいろんなものにつけたのでしょうね。
今の南多聞台7丁目、8丁目あたりの団地もかつては「西舞子団地」でした。
今は「明舞団地」に飲み込まれた形になっています。

公園の桜、青空が綺麗でした。
0414東谷公園桜.JPG

なお、公園の擁壁などの構造物は昭和40年代初頭のものと思われます。
団地が開発され、公園が出来た時に整備されたものなのでしょう。

さて、その少し北、マンション敷地の北端にこの公園へ上がる路盤の名残りが見られます。
0414コスモ舞子坂北未成線跡.JPG

この場所を更に北、西岡橋の袂を少し南へ入ったところから眺めると・・・
路盤が公園に向けて上がっていく様子が見て取れます。
0414西岡橋未成線跡2.JPG

以前は橋の袂にもその痕跡が残っていました。
今、駐車場ができて、路盤の痕跡が消えています。
0414西岡橋未成線跡.JPG

以前に書いた、山陽バスの清水が丘車庫が神明急行「多聞」駅の跡地なのですが、そこから地形に反して建物の建ち方が変わってている場所があり、そこをたどるとこの西岡橋の袂に出てきます。
以前の神明急行須磨寺・多聞間の記事は以下をご覧ください。
http://densya-oyaji.seesaa.net/article/438917586.html
「神明急行覚書1」

さて、この日はこの後も用事が続き、ずっと以前からお伺いしていた明石での落語会には少し遅刻しました。
笑福亭喬若さん・・
この日の演目は「看板のぴん」「粗忽長屋」でした。
大いに笑いました。。
0414笑福亭喬若2_1196.JPG
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2017年04月12日

須磨・長田、山陽と神鉄の桜風景。

やっと晴れました。
やっと満開の桜を見に行けます。
でも、他の所用が重なり、さらには先月来の経済的打撃から立ち直れず、遠くへはいけません。
地元で電車と桜のコラボを楽しむことにしました。

山陽電車、須磨浦公園駅で下車。
通過する直通特急は5605・・5010Fです。
0須磨浦公園山陽5605.JPG

駅東の橋の方へ・・・
なんと、鉄道業界、鉄道ファンとしても大御所のAさんと出会いました。。
色々鉄談義しながら撮影。
阪神8250。
阪神電車がこういうゆったりしたところを通るのは山陽沿線に限られますね。
0412須磨浦公園阪神8250.JPG

山陽3636。
0412須磨浦公園山陽3636.JPG

その編成が須磨浦公園駅で別の普通電車と並びました。
3062・3052です。
0412須磨浦公園山陽3062・3052.JPG

Aさんとお別れし、僕は一の谷のほうへ。。。
二ノ谷、坂の上から阪神8215。
0412須磨浦公園阪神8215.JPG

線路際に降りて3012。
0412須磨浦公園山陽3012.JPG

阪神8235。
0412須磨浦公園阪神8235.JPG

山陽3068。
0412須磨浦公園山陽3068.JPG

久々の青空、山陽3631。
0412須磨浦公園山陽3631.JPG

一の谷バス回転所のところから・・・
山陽3608。
0412須磨浦公園山陽3608.JPG

神戸市バスとのコラボ、阪神8243。
0412須磨浦公園阪神8243.JPG

JR223系も・・・
0412須磨浦公園223.JPG

時間が押すので・・この後、板宿の市バスを見に行くつもりだったのですが、時間を食いすぎました。
一気に神戸電鉄の長田へ向かいます。
ワンデイチケットの清算にちょっと手間を要しましたが・・・
長田駅ホーム端から。。
5007。
0412長田神鉄5007.JPG

桜並木の横をゆっくり走る電車・・・
1503。
0412長田神鉄1503.JPG

1116、ちょっと車体の色あせが残念。。。
0412長田神鉄1116.JPG

1504、先ほどの1503の編成です。
0412長田神鉄1504.JPG

3004、いまや神鉄3000系最古参になりました。
0412長田3004.JPG

1115、先ほどの1116が後尾の編成が折り返してきました。
0412長田神鉄1116.JPG

その後追い。
0412長田神鉄1116後追い.JPG

最後に5000系5013、この場所、桜の季節に来たのは初めて・・・
現地では同好の士、3人と出会いました。
0412長田神鉄5013.JPG

このあと、母の介護、そしてパソコン不調で娘が1号パソコンを使っていたのを空いてから更新となりました。
「国鉄・私鉄の思い出」更新しています。
http://kokutetu.seesaa.net/article/448934528.html
「国鉄高砂工場、特急・急行気動車の記録」
です。
posted by こう@電車おやじ at 23:57| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

曇り空の新幹線

桜が満開でも、家庭の事情等でなかなか鉄道の名所まではいけません。
でも、買い物ついでに新幹線ならなんとかなりそう・・

長坂トンネルの上から・・
ギリギリでN700「のぞみ」。。。。
0410長坂N700.JPG

本日は「こだま740号」は、所定500系のところ700系「レールスター」でした。
0410長坂700こだま.JPG

この後お買い物に・・・
といっても玉津まで行く必要は全くないのですが・・・
玉津の「イズミヤ」へ・・その3階と屋上を結ぶ通路から。。。

N700「ひかり」
0410明石川N700.JPG

桜でも見えないかなと思ったけれど、桜は視覚の外に咲いているのがあるだけ。。
後ろの山は六甲山、裏側から見ている感じになります。

N700「さくら」
0410明石川N700さくら.JPG

先ほどのレールスターが折り返してきました。
0410明石川700こだま.JPG

本日のメイン、500系「こだま」
ま・・レールスターと両方撮れたからいいと思うことにしましょう。。。
0410明石川500こだま.JPG

このあと、さらに買い物と母の病院へ・・・
趣味だけに没頭できる時間もほしい。。。。


posted by こう@電車おやじ at 21:51| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

ぶらっと新幹線散歩

昨日4月4日、強烈な五十肩の痛みに耐えかねて、こういう時に行く接骨院さんへ・・・
強烈な施術で、なんと、痛みが一気に半減・・
まだ少し時間あるし、お天気良いし、そのまま電車に乗って散歩・・
別府で「まいどらーめん」さんへ行き、のんびりラーメンと焼酎。。
そこから電車散歩。。
山陽電車の回送が快走。。。。
0404別府山陽5608回送.JPG

東二見には6000系第5編成がおりました。
まもなく運用開始で、6000系一気に5本です。
0404東二見山陽6004.JPG

江井ヶ島へ・・・
山陽電車の直通特急。
0404江井ヶ島山陽5016.JPG

池の端で新幹線を眺めようという魂胆ですが・・・池に水がありません。。。
N700系「のぞみ」
0404江井ヶ島N700広角.JPG

広角だと水枯れが目立つので望遠に切り替えました。
N700です。
0404江井ヶ島N700のぞみ.JPG

こちらは「さくら」
0404江井ヶ島N700さくら.JPG

500系「こだま」下り列車です。
0404江井ヶ島500系.JPG

この後の予定を考えて山陽電車に乗り藤江まで・・
藤江から20分ほど歩くと西明石駅につきます。
山陽電車が藤江と林崎松江海岸の間に駅を作れば徒歩10分くらいで乗り換えできるようになるのになぁ・・

西明石駅、新幹線ホーム。
N700「ひかり」をN700「のぞみ」が追い越します。
最終的にはN700と、登場が予定されるS700ばかりになるのでしょうか。。。
0404西明石N700同士追い越し.JPG

発車していくN700「ひかり」と下りのN700「ひかり」が出会います。
0404西明石N700並び.JPG

停車中のN700「ひかり」、新人の車掌さんが訓練を受けていました。
0404西明石N700乗務員.JPG

「ひかり」が発車していくと、反対ホームに500系「こだま」が入ってきました。
0404西明石500・N700並び.JPG

上り500系「こだま」が入線してきます。
ぎらぎらと夕方の太陽を跳ね返します。
0404西明石上り500.JPG

先頭車のアップ。
午後から夕方にかけての2往復の新大阪乗り入れは有難いです。
癖になりそうな500系。
0404西明石上り500先頭車.JPG

500系のロゴが夕日に反射します。
この列車、17分も停車します。
0404西明石上り500エンブレム.JPG

500系「こだま」をN700「のぞみ」が追い越します。
0404西明石500・N700追い越し.JPG

今度は下りホームにも500系「こだま」が入線してきました。
0404西明石くだり600入線.JPG

一瞬、上下の500系「こだま」が並びます。
0404西明石500並び.JPG

下りが到着すると上りが動き始めます。
0404西明石500並び2.JPG

上り500系「こだま」の先頭部のトップ、やはりどう見てもかっこいい列車です。
0404西明石上り500トップサイド.JPG

下り「こだま」は退避することなく、すぐに発車していきました。
0404西明石くだり500発車.JPG

このあとは朝霧から母の病院へ・・・
ちょうど良い時間に到着できました。
それにしても二本続きの500系、それも上下が西明石で出会うので述べ3本の午後の500系、JR西日本さんからの、ひと時のプレゼントのように見えてしまいますね。


posted by こう@電車おやじ at 06:26| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

国鉄解体30年

本日は国鉄その際後の日から30年、明日がJRグループ誕生30年ということになります。
381やくも布原.jpg
30年前の今日、僕は何をしていたかと聞かれると、何の記憶も出てこないのです。
すでに前年6月から国鉄を退職前提の休職として、事実上、辞めていましたから、この日は写真屋の仕事をしながら迎えたはずです。
まったく、何の興味もなく、だから、国鉄最後の列車をとりにいくこともせず、普通に写真屋の仕事をして、普通にその日を終えて、翌日も普通に勤務したものではないかと、当時の自分の行動を推察しています。

当時の僕は国鉄の上層部には反感を、組合には反発を抱いていました。
大好きなはずの鉄道の中にいることが苦痛で、それゆえ、辞めてしまったのです。

職場長からは引止めらました。
車両内装のことをよく知るものとして、現場に居て欲しかったというのが上司の気持ちだったのでしょう。
まだまだ、客車が健在でした。

国鉄が解体され、新生のJRグループが誕生して、なぜかあれだけの大赤字が一年にして黒字化するというマジックを見せ付けられた国民は、国鉄が「悪」であったかのような印象を持ったことでしょう。
しかし、前年末の国会では国鉄はすでに単体で黒字化を成功させていることが報告されています。
厳しい部門の切り捨て、特に貨物輸送の大縮小、郵便・荷物輸送からの撤退、赤字路線の大量の廃止などが行われ、それは経営に寄与していたのです。

国鉄赤字の元凶である、不採算新線の建設費償却、旧満州鉄道退職者の年金負担などは、すべて鉄道清算事業団が引き継ぎ、JRにはそういった負の遺産は引き継がれなかったから当たり前のことです。
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私鉄と違ってさまざまな国家政策のツケを回されてきた国鉄=日本国有鉄道を台赤字にしたのはほかならぬ国家です。
そしてその赤字の責任を国鉄に押し付けるマスコミ操作・・
今も昔も国が国民をだますのは同じ手口のようです。

しかし、では国鉄に悪いところはなかったかというと、それはあります。
明治の井上勝や後藤新平が「鉄道はサービス業である」と喝破して、サービス向上に努めたのは昔の話。
先鋭化した労働組合は、利用者の立場を考えず、ストライキを繰り返し、深刻な乗客減を招きました。
経営陣はモータリゼーションの深化を他人事のように捉え、車両サービスの向上、スピードアップが資金難もあり進まず、古い車両、遅い列車をいつまでも放置、今でこそ鉄道ファンが国鉄型を喜びますが、当時は私鉄の優れたサービスと比べるとどうにもこうにも、国鉄型の悪いところばかり目立つようになってきたものです。

そんな中、末期の国鉄は201系、117系、キハ40シリーズ、キハ185系、キハ183系、新幹線100系といったう高品質な車両を投入していました。
でも時すでに遅く、国鉄の状況は悪化していきます。

労働組合もスト戦術を改めました。
離れた乗客が帰ってくることはありませんでした。

国鉄解体後、分割されたJR各社が必死にサービスの改善を図り、30年を経て本州3社の乗客は都市部に限っては見違えるように増加しました。
しかし、3島会社が苦戦を続け、それでも必死にがんばった九州が上場、完全民営化を達成したのは記憶に新しいところです。
また、四国は国鉄四国総局から受け継いだ、島内基幹路線のフリークエンシーの確保を今も継続し、本四輸送でも今や大幹線に成長した本四備讃線(瀬戸大橋)など、その手腕には見るべきものがあります。

ですが、北海道は苦戦続き、少ない人口密度、整備されていなくても十分速い一般道路、冬場の除雪の進展、そこへ追い討ちをかける高速道路の整備・・
かつてのドル箱だった青函ルートは、今や旅客では壊滅状態。
新幹線が延伸して少しは函館空港との利用者の差が縮まったのでしょうか。

かつての国鉄の苦悩をそのまま唯一引き継いだかのように見えるJR北海道の現状は、もはや民間ではどうにもならず、国家インフラであると国が認識して、改めて国有化するしかないのかもしれません。

JR30年で、会社間をまたがる列車は激減、長距離列車は壊滅状態、鉄道は自社エリアの得意分野だけの仕事に勤しむ結果となりました。
せめて、分割民営化ではなく、単なる「民営化」であったなら、経営状態が好転しつつあった時期に北海道への投資もでき、長距離列車も消えずに済んだものをと思うのですが、すべては妄想にほかなりません。

たぶん、僕が撮影した国鉄最終期の写真から、サイドのエンブレムが如何にも国鉄を現す・・
485系、クハ481−802の写真を。。
クハ481802黒井.jpg

せっかくの電化完成もこういう転用車両で賄うしかなかったところに当時の国鉄の苦悩が現れています。
そして、それから30年近く、つい数年前までこの車両が現役で走っていたとは・・・
まさか、当時の僕はそういう結果になろうとは夢にも思いませんでした。

今全国で国鉄の車両が3割ほど残っているそうです。
ほとんどは気動車のキハ40シリーズ、あとは近郊型の東西の115系、九州の415系、関西の201系・105系が目立つところでしょうか。
特急用の車両などではすでに国鉄型の命脈も見えてきていて、北海道のキハ183系、四国・九州のキハ185系、伯備線の381系、湘南方面の185系が残っているだけです。
それにしても、やはり国鉄時代には20年ほどで車両の置き換えをしていたのですから、車両自体の質の向上、整備技術の向上があるにしても、改めて「驚き」です。

国鉄型をもっと使えとはいいません。
古い車両はいくら整備状態がよくても、やはり厚化粧でしかないのです。
今から先のJRが真剣に顧客のことを考え、国家的インフラの中枢にある自覚を持って、鉄道の将来に向けてじっくり進んでいかれるよう念願してやみません。




posted by こう@電車おやじ at 16:06| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする