2014年09月01日

レビュー「戦前外地の高校野球」

戦前外地の高校野球: 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢 -
戦前外地の高校野球: 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢 -
こういう歴史があったのかと、驚きのあまり、ページをめくるのがつい、速くなってしまう。
戦前の甲子園に、満州・朝鮮・台湾の学校から参加があったことは知識として知ってはいても、それがどういういきさつでなのか、あるいは、参加した人たちの気持ちや、現地での様子、そしてどのように戦ったかなど、知識の更に奥に潜む部分には私は関心がなかった・・というより、関心を持とうとすることもなかったわけだ。

この本は大戦前に、外地からやってきた学校やその生徒たちの、甲子園へ来るまでの道筋や、甲子園での様子、現地へ戻ったときの様子、そして、戦時に彼らがどういう運命をたどったかなど、軽快な文章でさらっと見せてくれる。

この著者の作品ではこれまでも「映画が語る昭和史」「歴史を知ればもっと面白い韓国映画」も読んでいて、これらも独特の切り口で楽しめたのだが、今回の本はこの著者の過去の作品とも一線を画すかもしれない。

著者の専門外の「野球」が中心の話であり、しかも、「戦前外地」にとどまらず、日本野球界の歴史をも織り交ぜ、日本での高校野球のそのルーツを探っていく・・
ある意味では著者には珍しく映画論から全くはなれた、冷静なかつ、鋭い考察を加えた戦前日本の物語と言うことができるかもしれない。

著者の父君は天津商業から甲子園に二度やってきた野球選手だったとのこと、実は私の父方の祖母、母方の祖母とも大連、奉天で将来を夢見て生活していた善意(たぶん)の日本人であった。
また、私の母は奉天の生まれだ。
この部分でも何ともいえぬ親近感を抱き、母がいた頃の満州はどうだったのか・・そういう興味ももちろん、この作品に傾注するバックボーンでもある。
(この頃の満州を描いた最近の漫画作品にビッグコミックオリジナルの「プイチン(再見サイチェン)」村上もとか作・・がある。絵の力を感じさせる傑作で、あわせて読んでいただければ当時の満州の様子が分かるのではないだろうか)

また、私は鉄道ファンだが、野球と鉄道は切っても切れない縁にあり、本書の中でも鉄道に関する記述も少なくない。
(ただし、満鉄の「あじあ」が世界最速との記述があるがこれは誤りで、あじあの最高速度は時速130キロ、これに対し、当時の欧米では時速140〜160キロの高速列車も運転されていた)
また、当時の欧亜連絡列車のダイヤなども登場する。

関西在住の鉄道ファンであり、関西私鉄の歴史には詳しいと自認する私が、昭和2年の中学野球春夏の優勝校が寝屋川で本当の日本一を決定する試合をしたことは知らず、京阪電鉄始まって以来の「騒ぎ」だったことはこの本によって初めて知った。

また、今現在、選手権大会を主催している朝日新聞が、当初は野球に否定的だったことも、この本によって知り、非常に驚いた事柄の一つである。

戦前の球児たちを描いた本だから、彼らの戦時の様子も淡々と書いていく・・
戦争で非常に多くの野球人を失ったわが国だが、敵性スポーツとされた野球に、野球を愛する彼らであるからこそ、尚のこと、死地に飛び込んでいかざるを得なかった部分もあるのではないか・・
それは私の感想である。

それにしてもこの本は出来るだけ多くの方に読んでいただきたい・・
日本人が外地でどういう生活をして、そうやって現地の人と溶け込み、そしてその人たちがどうなっていくか・・それを軽妙な文体で楽しませてくれながら読める・・そういう本であるからだ。
posted by こう@電車おやじ at 10:32| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月28日

レビュー「ネメシスの契約」

以前、「変若水(をちみず)」を書いた作家の新作です。
この作品のレビューをアマゾンに投稿しました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%91%E7%B4%84-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%81%AD%E6%95%99/dp/4334928900/ref=pd_rhf_cr_p_t_1_MM62
変若水(をちみず)を読んでから、次回作が気になっていた。
待望の次回作が本作品で、ネメシスという言葉が何であるか、ほとんど分からぬまま、最後のほうでようやく一言だけ、「義憤の神」という言葉が出てくる。
内容は二組の男女のストーリーがやがて組み合わさり、一つになるかと思えた完結部分でのどんでん返しがある凝ったストー^リーで、読み手を飽きさせない。
筆者お得意の漁業関連のトリックなどはこれまでどの作家が使ったこともないように思われ斬新で、しかも鮮烈だ。
文章はリズム感があり快適で、400ページ以上ある分厚い本ながらも一気に読んでしまえる。
しかし、読む快感に酔いしれていると、多い登場人物の相関が分からなくなってしまうから要注意だ。

快適な文章だが内容は緻密、どうか、筆者のスピードに飲み込まれず、じっくりと、余裕を持って読み解いていって欲しい傑作である。

ただ、個人的には前作「変若水」の前半部分、おどろおどろした因習を思わせるあの文体も好きなのだ・・この点については次回作を期待する。

それにしてもだ・・ルーツをたどっていくという推理小説の手法はかの松本清張を思わせる・・それほど深い推理小説ということか。
この作家の今後に期待したい。


**************


推理小説は普段はほとんど読みません。
それは世間で大作家といわれる方々の稚拙な作品に嫌気がさしているからであり、これは昨今の純文学にもいえることかもしれませんが、作家の皆さん・・特に、日本の列車を殺人列車に仕立て上げたあの方・・
人生の経験が足りていません。
挫折や苦悩の大きさが作家を育てるのです。。

というわけで、日本海の荒波を身体で知っておられる吉田恭教さんの作品には期待しています。

国鉄・私鉄の思い出ブログ、更新しました。
先だって訪問した名鉄木曽川堤駅ですが、本当は東笠松に行きたかったのです。
その想いで予定を変更しました。
「名鉄 東笠松駅」
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2013/07/post-9d13.html

この駅が廃止されたのを知らなかったなんて・・
あまりにも迂闊過ぎました。。
posted by こう@電車おやじ at 19:13| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

Story更新「親父の葬式」

夏が来ると親父のこと、つまり、僕の亡父のことが思い返されます。

真夏の青い空の下、親父が亡くなった病院の脇から、田圃の向こうを突っ走る山陽本線の列車を眺めていました。

その頃の山陽本線は湘南カラーの113系快速、ブルーライナーカラーの153系新快速、485系の特急「しおじ」、EF65やEH10,EF66の貨物列車などが走っていましたが、僕は国鉄沿線にはまだ縁が薄く、走っている列車は珍しいものばかりで、このことがそろそろ芽吹き始めた僕の鉄道趣味を大きく開いたように思います。

その後、加古川の方々の好意で、大黒柱をなくした我が家は加古川の、国鉄沿線に住むことになりました。

僕はその後数年で国鉄に入社して神戸へ移ったのですが、このときが本当の意味での国鉄とのつながりが出来たときです。

「親父の葬式」

http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2013/06/post_e7b0.html

本作ではその親父が生きていた頃のつながりを持つ人々を、やや離れてみている「僕」の視点から描いてみました。

なお、親父のことや、その周囲の人のことをフィクションとして書いた作品には他に以下のものがあります。

「山陽電車」
http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2012/09/post_5066.html
「あの夏を」
http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2006/04/post_b504.html
「姫路から加古川へ」
http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2011/06/post_4aab-1.html
「おやじ」
http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2004/12/post.html
posted by こう@電車おやじ at 23:19| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

決して暇ぢゃないよと・・レビューと国鉄私鉄ブログ

レビュー書きました。
ここ数週間でかなり本を読んだのですが、決して「暇」ぢゃないぞと・・
ま・・仕事では暇なわけですが。。

「南海の翼 ─長宗我部元親正伝」 のレビューです。
例によってmixiとAmazonにレビューを投稿しています。
(先日の「さいごの色街・飛田」はAmazonレビューに掲載されています)

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久々に面白い歴史小説を読んだ実感がある。
長曽我部元親の「正伝」と言うだけあって、読み応えはたっぷりで、この稀有な戦国大名のエピソードもしっかりと分析して描かれている。

長曽我部元親という人物の曖昧さ、優しさ、怖さ、律儀さが否応にも伝わってくる。

中央から遠く離れた土佐であるがゆえに、このような人物が生まれたのだろうか。
その土佐の気質は今の高知県人にも十分引き継がれているような気がする。
僕の友人の高知出身の男は、大酒呑みで義に篤く、非常に家庭を大事にするが、彼の中に長曽我部元親を見る思いが改めてしたものだ。

ただ、作品が久武親直と長曽我部盛親の回想で始まり、途中に幕間を2回入れているのは、作品全体の構成としては解せない。
回想で始まりながら敵方の十河存保の立場に立って文章を薦めるという手法も作品の構成上いかがなものだろうか。
また、秀吉に臣従してからの元親の動きを早足で駆けるように描いているが、ここは津本陽の「夢のまた夢」の如く丁寧に書いたほうが良かったのではないか。


ただし、そういう構成上の疑問はあれど、この書の中に出てくる元親はその輝きを失わない。
戦国ゲームが全盛の今、僕がこの書を読むきっかけとなったのも、ゲームにはまっている娘二人からの長曽我部氏への質問からだった。
僕は毛利元就や武田信玄のことはある程度知っていても、元親のことは、ほとんど知らなかったのだ。
そういう意味で、この書が出た背景も戦国ゲームによるキャラクターの一人として元親が大きな役割を果たしているからではないだろうか。

作者はまだ若く、それが故、筆にもリズムがあり力強く読みやすい。
久々の大型戦国大名伝であることは間違いがないだろう。

なお、作品には描かれていないが回想をする本人である長曽我部盛親やその家族の終焉を思うと、それはこの書の読後感に、無常の哀しみを思わせるのだ。

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国鉄・私鉄の思い出ブログは一昨日、更新しています。
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2012/04/post-8968.html
「国鉄高砂工場でのちょっと濃い写真」

荷物車、救援車etc・・

クラシックカメラでテスト撮影がその目的でした。
posted by こう@電車おやじ at 16:33| 兵庫 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

歴史小説について

当ブログで拙作品へのご質問を頂いたことから、ちょうど良い機会ですので自分の考え方を書いてみたいと思います。

歴史小説は小説であり、史実ではないと言うこと、史実を中心にして、その背景の中で人間を描くのが歴史小説だと信じています。

たとえば、新田次郎「武田信玄」、井上靖「風林火山」はどちらも武田信玄を描いた名作ですが、これに出てくる山本勘介、湖衣姫、由布姫、は作品の中で大きな役割を果たしながらも、基本的には史実の中に出てくる人物に大きな脚色をした架空に近い人物です。

逆に新田次郎「武田信玄」では甲斐の人々の尊敬の厚い「三条の方」がまるでどうにもならぬような愚女ぶりを発揮します。

これは小説を生かすためであって、必ずしも史実どおりではないものを織り交ぜることで歴史小説が生かされる好例かもしれません。

また、歴史小説であっても、現状で解る可能な限りの正確な情報に基づく津本陽さんの作品群なども存在します。

津本陽さんの「下天は夢か」「夢のまた夢」「武神の階」などは、歴史書としての評価も高いのはこのためです。

歴史書であっても、読み物として面白く、小説以上の読後感を得ることが出来るものもあります。

磯貝正義さんの「定本・武田信玄」などはその際たるものでしょう。

さらに言えば記録的な古典であっても、その作者に作為が見えることもあります。
信長の祐筆を勤めていたとされる大田牛一の「信長公記」は稀有な記録書として名高い書物ですが、時に・・特に信長の幼少時代の記録において聞き伝手による作為的な文章になるのは致し方のないことでしょう。

僕自身は「STORY」に出す作品は小説であると認識しています。
そこに僕による作為は当然、存在します。

精密な歴史の検証よりは、小説としての人間の描きかたのほうに僕自身が向かっているからです。

だから、史実に対して反することもあるでしょう。
それは僕が知らないことや、知っていてもあえて違う方向に書いてしまうことで作品の中の人物を浮き立たせたいと考えているからに他なりません。

もちろん、あまりに大きな逸脱はするべきではないでしょう。
歴史を背景に捉えた作品であるがゆえに、史実を尊重しながら、その背景で人物を描くことが出来れば、それは作品として成功であるといえるし、人物を描ききれなければ作品としては失敗だといえるかもしれません。

なお、拙作品がそういう意味で成功しているか、失敗しているか・・
あるいは過去に大作家の方々が出された名作の数々が歴史小説として成功しているか、失敗しているかはそれは読者の主観的な判断によるしかないと思います。

吉川英治先生は、戦後の時代に、あえて「私本太平記」で平和主義の楠正成を登場させました。
作者の意図を代弁するのが作品の主人公であると、先生は後輩の作家たちに見本を示されていたのではないでしょうか。

なお、拙作における歴史小説と言えるものは以下のとおりです。

神吉城http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2004/07/post_3.html
武士一人http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2004/11/post.html
西向く侍http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2010/04/post_8ffc.html
十六の母(諏訪御寮人異聞)http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2005/09/post_f3f4.html
僧と遊女http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2008/07/post_1f05.html
おんな哀歌
出陣前夜
業火の男たち
神がいた浜http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2004/08/post_1.html

歴史を取り入れながら、現代を書こうとしたもの。

松の木http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2005/10/post_d665.html
雷の夢http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2004/09/post.html

歴史というよりは御伽噺として書いたもの。

羽衣秘話http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2005/07/post_24b8.html
桃の花をつけた赤子・・桃太郎私説http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2005/10/post_8bbb.html
届かない月
播磨の浦島太郎http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/2009/01/post_bb65.html

ま・・えらそうに書きましたが、所詮は市井の一趣味人です。
駄文をご覧戴くことに実際のところは冷汗ものです。。。
ご笑覧くだされば幸いです。

国鉄・私鉄の思い出ブログを更新しています。
「新幹線100・300系引退によせて」
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2011/11/100300-9f3b.html
posted by こう@電車おやじ at 21:45| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする