2018年01月27日

山陽3202・3024と〆は103系。

昨日、1月26日は区役所へいろいろ手続きに‥
窓口を三か所回って、最後に区役所の方に教えてもらったまま社会保険事務所に電話して・・
結構時間を要しました。

終わってから山陽電車の垂水駅へ行き、「さようなら」看板が付いた二本の電車を追いかけようとの魂胆です。
直特は6000系で、ロングシートながらやはり快適・・
で・・なんと、東二見で目的のうちの一本、3202Fを見つけました。
そのまま直特で追い越して高砂へ・・
3202F、姫路よりの3621です。
0126高砂山陽3621HM.JPG

これを次の直特でまた追いかけます。
3636と5604が並びました。
0126高砂山陽3636・5604.JPG

大塩駅で。。
3621。
綺麗なヘッドマークを付けてもらって、いかにも卒業記念ですね。
0126大塩山陽3621HM.JPG

3202。
0126大塩山陽3202HM.JPG

車内銘板です。
0126大塩山陽3202車内銘板.JPG

車内。
姫路到着直前に撮影しました。
0126姫路山陽3202車内.JPG

この電車でそのまま姫路へ。
姫路駅に着いた3202。
0126姫路山陽3202HM.JPG

姫路駅に着いた3621。
0126姫路山陽3621HM.JPG

折り返し、そのまま乗車して(ワンデイチケットですから)妻鹿へ。
3621が去っていきます。
0126妻鹿山陽3621HM後追い.JPG

そこへ猛スピードで阪神9300系が。。
0126妻鹿山陽3621HM阪神9504.JPG

ちょっと歩いてみました。
原形3000系貴重な4連、3030Fの3615です。
0126妻鹿山陽3615.JPG

後追い、3030。
0126妻鹿山陽3030後追い.JPG

こちらは3050系3062F、3636。
0126妻鹿山陽3636.JPG

さて、次の電車で上り方向へ。。。
運転台後ろにかぶりついていたら・・もう一本の看板付き編成、3024Fが・・姫路寄り3612です。
0126大塩B車内から山陽3612HM.JPG

3024の編成。
0126大塩B山陽3024HM.JPG

構内踏切から少し見上げるように。
0126大塩B山陽3024HMU.JPG

「何の看板かしら・・」
女性が不思議そうに見ておられます。
0126大塩B山陽3024正面.JPG

3024と3030、原形車同士の並び。
0126大塩B山陽3024・3030.JPG

ここでFacebookでお友達のNさんと出会いました。
初めて直接お会いしたのがこういう場所・・というのも縁を感じます。
この電車に乗り込んでいろいろおしゃべりしながら・・ワタシは飾磨で降りました。

姫路へ向かう3024。
0126飾磨山陽3024.JPG

一本前の電車で妻鹿で降りて・・
鉄橋を入れて撮影しました。
3024です。
0126妻鹿B山陽3024HM.JPG

3612に乗って、別府へ・・・
去っていく3512です。
0126別府山陽3612HM.JPG

ここで「ラーメンまいど」さんに立ち寄り、挨拶とお昼を。。
少し呑んで…
いい気分で‥垂水へ・・・
なんですが、ここは前後しますが、そのあとに行った人丸前での二枚を‥
朝に出会った3026、この編成も先が危うい原形車です。
0126人丸前山陽3026.JPG

3058、夕闇が深まります。
0126人丸前山陽3058.JPG

この日の垂水駅では朝に‥、最初にこの一枚を撮影していました。
EF66121です。
0126垂水Ef66121.JPG

で・・夕方の垂水駅。
225系。
0126垂水B225後追い.JPG

山陽6000系の昨年末入線トリオ、未だ撮影出来ていなかった6005が。。。
0126垂水B山陽6005.JPG

前後しますが・・HOT7000「スーパーはくと」
夕闇の中のヘッドライト。
0126垂水BHOT7000.JPG

103系和田岬線送り込み回送です。
この日は日中に川重からの甲種回送があったので、この運転があるとみていました。
0126垂水B103.JPG

去っていく103系。
0126垂水B103後追い.JPG

最後に後輩の321・207と一瞬だけ並んだ103系。
ついに大和路線、おおさか東線からの撤退もなされたようです。
孤軍奮闘する和田岬線103系はいつまで走ってくれるのでしょう。
0126垂水B103・321・207.JPG
posted by こう@電車おやじ at 09:27| 兵庫 🌁| Comment(2) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

用事の合間に夕方近くの新幹線を・・

早速、鉄道かと叱られそうです。
でも、向かった先に線路があり、母がかなり新幹線を好きだったこともあり、気持ちとしては想いの部分が大きいのかも知れません。
夕方の光線の中で新幹線の列車を眺めたくなってきました。

西日が強い時間、N700「さくら」が行きます。
0125魚住N700さくらサイド.JPG

ダイヤ乱れ故でしょうか。
この時間に立て続けにはならない九州新幹線直通列車が続きます。
0125魚住N700さくらサイドU.JPG

「さくら」のアップ、夕陽が強くなってきました。
0125魚住N700さくらサイドアップ.JPG

黄金色に染まった空、流麗な500系のシルエット。
0125魚住500こだまサイド1.JPG

その列車の後尾のアップ。
なんとも感傷的な写真になりました。
0125魚住500こだまサイド後尾.JPG

反対側へ移動して、大幅遅れのN700.たぶん・・「のぞみ」
0125魚住zん700のぞみ順光.JPG

ここで太陽が雲の向こうに隠れてしまいました。
それでも空は青く、遠くは晴れているので不思議なイメージです。
500系、下り「こだま」、約10分遅れてやってきました。
0125魚住500こだま下り.JPG

その後尾のアップ、暮れかかる空、遠くへ旅立つ列車。
0125魚住500こだま下りアップ後尾.JPG

現地にいたのは30分ほどでしょうか。
次の挨拶の約束時間が迫ってきました。
posted by こう@電車おやじ at 20:26| 兵庫 🌁| Comment(3) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

母が亡くなりました。

1月23日、午前6時28分、母が亡くなりました。
ここに母生前の皆様のご厚情に深く感謝申し上げます。

1月22日、夕方5時半ごろ、いつもの母の病院へ・・
すでに3番目の妹が来ていて、少し呼吸が荒く、鼾のような状態が断続的に起こるのを見ながらも、普通に食事を食べてもらうことができました。
しかし、食事についているデザートがうまく呑み込めないらしく、止む無くデザートは諦め、またいつもの飲み薬も、誤嚥の危険性が大きいので我々では飲ませずに、看護師にしてもらうことにしました。

ほとんど口はきけない状態になって長いのですが、それでも「足が痛い」というので足を揉んでやると落ち着いた様子。
ベッドを完全に寝かすのはまだ早いと判断したので、看護師に相談してベッドは少し状態を起こす形で寝てもらうことにしました。
「何かほかにあるか?」と聞くと「ない」と首を横に振ります。
「眠りたいの?」と聞くと頷きますので、好きな美空ひばりのCDをセットして、イヤフォンをすると満足そうでした。

そのまま、僕と妹は病室を出て、僕は仕事に戻りました。

明け方、4時半ごろ、一昼夜勤務から帰宅してすぐだったのですが、病院から電話。
当直の看護師からで、「お母さまの呼吸がかなり荒いので、酸素マスクをつけさせてもらいました」
とのこと。
「もし容体に変化あればまたすぐにご連絡差し上げます」と言っていただき、僕は勤務から帰宅したばかりで眠くて仕方なく、そのまま横になって寝てしまっていました。
しばらくして電話が鳴っているのに気づくと、前日に病室で一緒になった妹からで、「病院から緊急で来てくださいと言ってきた」とのこと。
僕が寝てしまって、病院からの着信に気付かず、担当の看護師は即座に妹の電話に連絡を入れたようです。
寝てしまった時間は10分ほどでした。

すぐに用意をして車を出し、すぐ近くに住むその妹を迎えに行き、病院へ。
この間30分ほどでしょうか。
病室に入ると、心電図のモニターがピー!!と警告音を発し始めたところでした。
当直の看護師が僕たちを見つけて悲しそうな顔をします。
「心肺停止という状況ですね」
と伺うと「そうです。ずっと眠ったまま、こうなってしまいました」とのこと。

すぐに医師が死亡を確認。
でも、顔はまだいつもの眠っている顔で‥でも、額に手をやると身体が少しずつ冷えていくのが分かります。
つい、12時間前にいつものように食事をとったところなのに、母は旅立ってしまいました。
思えば、45年前に夫を亡くし、6人の子供を女手一つで育て上げてくれた母。
28年前に脳幹部出血の大病を患い、あと数時間生きれるかどうかと言われながらも、奇跡的によみがえり、社会復帰までした母。
あれからの28年は、母の人生というより、子供たちとの人生を楽しむためにあったのかもしれません。

そして8年ほど前に持病になっていた腎不全が悪化、透析生活となりながら、それでも透析患者さんたちとの交流を楽しみに通い続けた母。
介護が必要なことが多くなったので、僕の自宅近くの空き部屋に引っ越してきてもらった時、ちょうど、桜のシーズンで満開の桜を眺めながら「なんと美しいところ」ととても満足そうだった母。
最後の1年余りは病室でしたが、「海の見えるところで生活したい」という夢を別の意味でかなえてしまった母。
検査のために明石市内の医療センターへ介護タクシーで向かうとき、明石川を渡るときに見えた、新幹線の真っ白なN700を見て感嘆の声を上げ、「なんてきれいな電車、あれに乗りたい」と言っていた母。
幼少期を船乗りの娘として満州で暮らし、数か月に一度帰宅する父(僕からは顔も見たことのない実の祖父)が美男子ですごい自慢だったと言っていた母。
船と海が大好きだった母。

母の死に顔はすごく寛いでいて、死化粧をする前なのに、看護師や葬儀社の人までが「なんと安らかな寝顔」としみじみ見とれてくれました。
化粧を施してからはまさに美しく、めったに化粧をしない人でしたが、なるほどこの人はもしかしたら大変な美人だったのかもしれないと、実子の僕までもが思う始末。


葬儀は家族葬でつつましく、舞子の葬祭場で行いました。
母の6人の子と、それぞれの連れ合い、3人の孫、母の妹、姪、そして僕の義母と義姉、妹の義母、妹の婚約者、女性が大半の、賑やかで華やかで湿っぽくないお葬式になりました。

葬儀や通夜は導師の方に来ていただき、重厚な読経をしていただきましたが、今朝の朝一番、僕と叔母で、静かに長い読経を送りました。

*******

その医師にはたくさんの子供があった。
あるとき、美味しい飲み物と間違えて、子供たちが毒を飲んでしまった。
その医師はすぐさま毒消しの薬を調合して子供たちに飲ませようとした。
ほとんどの子供たちは父を信じてその薬を飲んで事なきを得た。
だが、一部に毒薬が心の中にまでしみ込んでしまった子供たちがあり、その子たちは決して薬を飲もうとしない。
このままでは命にかかわると判断したその医師は、遠くへ旅立つことを子供たちに言う。
そして「ここに薬を作ってあるから、まだ薬を飲んでいないものはこれを飲むように」と言い残し旅立つ。
やがて、遠くへ旅立った父が旅先で亡くなったという知らせが子供たちに届く。
子供たちは皆、嘆き悲しみ、父の姿を求めようとした。
そしてあの、毒に心が侵された子供たちも、父を懐かしむあまり、とうとう、父の作った薬を飲んだ。
やがて、子供たちの心身の毒は消え去り、命の危険は去った。
そこへ父が帰ってきた。
子供たちが驚いたのは言うまでもない。

法華経、寿量品より「良医の譬」

******

沢山の子供を産み育て、子供たちに人生を費やした母のことを想うと、僕にはこの話がおとぎ話などではないように思えてきます。

小さな骨壺に入って我が家に帰ってきた母。
ありがとう。
お疲れさまでした。
posted by こう@電車おやじ at 21:41| 兵庫 ☁| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

用事の隙間にチョイ新幹線。。

いろいろな用事が重なり、本当に時間が取れません。
でも、鉄オタはこういう時こそ本領発揮。。
隙間に鉄をねじ込みます。。。

今日は明姫幹線をクルマで走っていて、新幹線を撮りたくなりました。
魚住と西江井ヶ島の間くらいです。

N700、蓮のための池、今の季節は葉もなく、水鏡になってくれます。
0119魚住N700.JPG

上り「さくら」556号。
0119魚住N700さくら.JPG

下り「さくら」565号。
0119魚住N700さくら下り.JPG

そして500系、上り「こだま」742号、500系。
0119魚住500こだまサイド.JPG

その列車の後尾。
0119魚住500こだまサイド後尾.JPG

すぐに下り「こだま」753号。
0119魚住500こだま.JPG

その後尾。
0119魚住500こだま後尾.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:18| 兵庫 | Comment(0) | 鉄道戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

震災の日の祈りの後の鉄散歩。

1月17日、今朝は午前4時ころに帰宅。
そのまま起きて、ネットや家族の朝食の用意などして‥
いつもは5時に起きる娘と交代に寝るのですが、本日はそのまましばらく起きて、午前5時40分過ぎから自宅の仏壇で読経しました。
泣けてきます。
あの時の、真っ暗で寒くて静かな明け方を思い出します。
揺れた瞬間もものすごく静かで、静かなまま揺さぶられて・・
そしてその間に何人もの友人や友人の家族が息を引き取りました。

祈りの後、少し寝て・・でも同じ建物で部屋の改修工事をしているらしく、ドリルの音で目が覚めました。
今日はテレビは見ないことにしています。
見てしまうと感情が崩壊し、正常ではいられなくなるからです。

そこでカメラをもって線路際へ・・
途中、いろんな情報が入っているのに気が付きました。

とりあえず大蔵谷駅へ。。
雨の中、この季節にはきれいでいられない日本海縦貫線、もと「北斗星」専用機、EF510-514です。
0117大蔵谷EF510−514.JPG

そしてEF210-305の次位にEF210-157を繋いだ編成。
0117大蔵谷Ef210-305・157.JPG

DE101118牽引、レール輸送列車。
通称「短チキ」
0117大蔵谷De101118.JPG

後尾。
あとでこの列車を追うことにします。
0117大蔵谷DE101118後追い.JPG

本日のスーパースター、EF6627、ついに最後の国鉄形ロクロクになってしまったようです。
0117大蔵谷EF66627.JPG

山陽電車はヘッドマークのない、本来の味わいの電車がバンバン来ます。
直特6002。
0117大蔵谷山陽6002直特.JPG

初めて撮影できた、今のところ一番新しい6007。
0117大蔵谷山陽6007.JPG

好きな編成、5611(5020F)
0117大蔵谷山陽5611.JPG

これも堂々とした拡張高さ、5030系5631。
0117大蔵谷山陽5631.JPG

ホロ枠はあれど、赤帯が斜めにカットされていない5018。
0117大蔵谷山陽5018.JPG

普通系のスター、5000F。
0117大蔵谷山陽5000.JPG

こちらもホロ枠付き、5014F。
0117大蔵谷山陽5014.JPG

今、5004Fが更新工事中です・・ゆえに、直特用最古参5006F、5603。
それにしても5000系はやはりかっこいい・・
オリジナルな姿もそのうち貴重なものになるかも。
0117大蔵谷山陽5603.JPG

3000鋼製車、未更新・・貴重になった3024F、3612。
0117大蔵谷山陽3612.JPG

阪神からはワタシの一押し、9300系9305F。
0117大蔵谷阪神9505.JPG

普段ならここで堪能ということですが、まだまだ・・
明石でJRに乗り換え、加古川でもう一度乗り換えて加古川線の日岡へ。
乗り換えの前にごく普通のEF210を。。。
EF210-104。
0117加古川EF210-104.JPG

さて、日岡駅へ。。
雨がまた強くなってきました。
125形です。
0117日岡125形.JPG

来ました!!
先ほど、大蔵谷で見たDE101118です!!
0117日岡De101118.JPG

接近します。
停車する必要はないと思うのですが、今のかこがわせんはかくえきていしゃがぜんていのしんごうしすてむなのかもしれません。
一旦停止します。
0117日岡De101118・2.JPG

発車していきます。
加古川線に機関車が走るのは極めて珍しいのです。
0017日岡DE101118後追い.JPG

さて、満足したので‥でも帰りません。
快速電車で西明石へ向かいます。
入場券を購入して新幹線ホームへ。。。

N700「さくら」
水しぶきを上げて走ってきます。
0117西明石N700さくら.JPG

上りの「こだま742号」500系です。
ここで18分も停車します。
0117西明石500系こだま742.JPG

そして・・黄色い先生登場!!
ドクターイエロー、こと、923形試験車です。
0117西明石500・D.Y..JPG

接近します。
よりによって人気ナンバーワンの500系と並べば泣く子も黙る??
0117西明石500・D.Y.2.JPG

アップ、ここまで数秒です。
0117西明石D.Y..JPG

さらに、N700「のぞみ」が追い越していきます。
0117西明石500・N700追い越し.JPG

反対方向のN700「のぞみ」と一瞬の出会い。
0117西明石500・N700出会い.JPG

そして・・下り「こだま753号」500系がやってきます。
742号は発車するところ、一瞬、並びました。
0117西明石500出会い.JPG

こだま753号、停車。
0117西明石500下り.JPG

こだま753号発車風景。
新幹線には新幹線のなんとも言えない旅情がありますね。
0117西明石500発車.JPG

大蔵谷駅前にクルマを停めていたので、山陽電車に乗り換え。
雨の夕暮れ、5633号です。
0117明石山陽5633.JPG

このあと、母の介護と、自分の通院へ・・・
テレビを見ずに済んだかな・・・というより、別の意味では、かなり濃い一日でした。
posted by こう@電車おやじ at 22:50| 兵庫 🌁| Comment(2) | 時事戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする